節子のドレス

チヨの「男装の麗人」、正男の「男みたいな格好をして〜」発言がどうしても気になる。
節子の服装、どうみてもドレス。しかも、真っ白。あんな格好でショーベン横丁張り込みなんて、おかしい。


ドレスといっても、大正〜昭和初期を闊歩したふつうのモガの、ぜんぜんアリな装いです。
が、にしても、瀟洒すぎないか。銀ブラ時や「平服でお越しください」の時のドレスに見える。外回りする格好とは、思えない。


では、あれも「モノノ怪」流の、ハッタリ演出なのか。そうとも言えそうだが、だとしたら何を表すのか。
(演出的に、不恰好よりは素敵なほうが視聴者にはウケやすい、という思惑があったかもしれません。関係者はそれぞれイメージカラーを持っています。節子のそれは白というわけです。
 では、なぜ白なのか?ヒロインの節子にふさわしいカラーであるとは言えそうです。無論それだけの理由かもしれませんが、ここでは解釈にこだわってみます)


節子が、服装に無頓着だったとは考えにくい。
仕事一筋でしゃれっ気がないなら、汚れても関係ないような服装になるはずです。しかしドレス姿の節子はとても美しい。メイクもバッチリです。
人と頻繁に会うような職業では、デキる人はやはり上手に装うコツも身に着けているのが常で、節子の仕事っぷりからすれば、お洒落もまず上手だと考えるのが自然です。汚れても構わない格好をえらぶこともできるはず。
それでも彼女が、仕事の服装として白をえらぶとすれば、それは彼女の個性やスタンスを強烈にあらわしている。服装が画面の見かけどおりであろうとなかろうと、その点では解釈に違いは出ません。


では「男装の麗人」「男みたいな格好」という発言は何をあらわすのだろう。
モダンガールは当時「毛断嬢」などとも書かれて揶揄されました。
さかのぼって明治期、男性は断髪令が出て、髪結い商売に税金まで課された一方、女性は勝手に髪を切ると法律で罰金がとられたそうです。厳しい差別化がはかられたわけです。
大正期に入る前に、髪の長さに関する法律は緩和・廃止されたようですが、男性の好みもあり、習慣としては根強く残りました。だから髪を切る女は、異端としてものすごく槍玉に上がる。一方で礼賛する者もいたわけだが、やはり断髪は「男の格好」といっていい。


だが、どんなに髪をばっさり切っていても、スカートをはいた人を「男みたいな格好」とはいわない。たとえアール・デコの筒型の長いスカートや、チャイニーズドレスや、チマ、アオザイ、サリーであれ、現代でさえいわゆる和装と混同する日本人はいないし、ましてやその格好を「男装」「男みたい」とはいわない。


チヨの言葉をとりあげると、まず「いま流行りのモガ」と言っているから、節子のモガらしい、最先端な装いのことを指しているととれる。
しかし、モガは当然女性(男性ならモボ)だから、後に続く「それだけじゃなく…男装の麗人ていうの?」にかかると、最先端の女らしい装いをする、男装の麗人…では意味が通らない。
チヨは芸能界入りをめざしてカフェで働く女性だから、価値観もモガに肯定的で、憧れの対象としての「モガ」ととらえることもできる。すると、台詞のつながりが自然になってきます。
憧れのキャリアウーマンであり、男装の麗人。その彼女が「キラッと光って」いるわけです。すなわち、節子は女性としては当時珍しかったはずの、スーツなどのズボン・パンツ系の装いを(少なくともチヨの目に留まるくらい)していたことになる。


また、正男が「男みたいなカッコしてー!」と叫ぶのも妙で、やはりスカート姿に対する形容としては、
「男みたいな髪の毛してー!」などというのが(ゴロは悪いが)妥当ではないかと思われます。


あわせて回想シーンでは、節子はごくシンプルなキャプリーヌをかぶっています。
最後まで身に着けていた白いキャップも似合ってますが、あの花火みたいなデカコサージュは、カメラのフラッシュを暗示するデザインで、仕事現場ではちょっとかぶりづらそうです。
あの帽子は白いドレスに合わせたチョイスでしょう。逆にいえば普段の節子はシンプルチョイスだった可能性があります。帽子にシンプルなものを選ぶときは、服装もそれなりにシンプルになるでしょう。
もっとも、節子はどの場面でも、着たきりのようにあの白いドレス姿のままです。ショーベン横丁で張り込んでいるときに、酔っ払いに「女のチカン」よばわりされたり。彼女はやはりどこから見ても女性なのです。
この、衣装の見た目と解釈の微妙なズレはいったい何か。


仮説に仮説を重ねてもうしわけないが、おそらく、節子の「行動と考えのギャップ」を示すのではないかと思います。
どーみても銀ブラな格好、しかし汚れ仕事も厭わない、というのは。
こだわりはもってるけど、仕事のためにはそんなもの捨てて全然構わない、みたいな格好をつくっている。
汚職にまつわる詳細な証拠を、調べ上げた才覚の持ち主なのに、どっか抜けている。
白いドレスは、彼女という個をあらわす装いなのだと思います。


モガ(モダンガール)は、その言葉の流行した当時から、マスコミ的には時代の最先端、流行の発信源、ともてはやされながら、一般大衆的には不道徳・不良・軽薄・破廉恥、と両極な意味をもっていたようです。
肯定的に見たのは、社会を牽引する一部の人々。絶対数は少ないが、発言権があり、社会に何らかの影響力を持っていた中の、さらに一部の文化人です。
大部分の普通の人は、洋装はともかくとして、彼女らの生き方・やり方に対しては否定的でした。
職業婦人と呼ばれる女性でも、モガに関しては映画を真似るだけの軽薄な人種との捉え方が多かったよう。同性には手厳しいものです。


節子は野心と、それに見合う才覚を持ち、「格好だけのモガ」から脱しようと必死にあがきながらも「格好」から脱し切れない人間。
きわめて健康な精神で、仕事を(おそらく楽しみも)精一杯追いかける人。
汚職が悪いことだと知りながら、「命を狙われる」ほどのことではないと考えていた───
節子は愚かさを文字通りの意味で絵に描いたキャラクターのようです。彼女の愚かさとは、彼女の理想です。


上司を、会社を、社会を、丸ごと信じられる世の中は、幻想でしかない。ま、たしかに。
しかし、理想は、失われ忘れ去られるべき種類の愚かさでしょうか?