続・あの部屋の絵

というわけで、前回の続きです。


浮世絵に(も)疎い私は、ひたすらネットで「子を抱えた母の絵」をキーワードをいろいろ変えて探してみました。少しすると、「尿をさせようとする母とそれを見る若い女」という題名がひっかかりました。鳥居清長の作品で、千葉美術館で行われた清永展のカタログに掲載されています。
早速このカタログに当たると、「あの絵」にソックリとは言えない。しかし、ポーズ・構図ともによく似ているのはたしかで、コレを元ネタとしても良かったんですが、もう少しこだわって探してみようと思った(今にして思えば正しい判断でした)。
で、なおも(ぼちぼちと)探しました。浮世絵についても学びながら(春画もとっくり眺めながら)探したので、そのうち、「あの絵」は喜多川派っぽいよな、と気づくこともあり、初代歌麿が清長に学び影響を受けたという話もみたりする。
では歌麿で探そう、と思いついたら後は早かった…といいたい所ですがそうウマくはなく(ネットだけでそーはいきませんや)そこそこ探してやっと、「風俗美人時計 子の刻」まで辿り着いたわけです。
ということは、歌麿が清長のネタを流用したのかしらん。ありえますが、あの時代はもちろん現代でもネタのリサイクルなんて珍しくもありません。しかし、そうであってもリサイクルされるアイデアは、アイデア自体がすばらしいから転用されるのです。
子を抱える母の、あのポーズはきわめて日常的でありかつ寓意に満ちて、図像としてもシンプルで上品で美しい。絵師たちと買い手に好まれた図ということです。


面白いもので、いったん意識すると、似たような図像がこんどは目に入るようになる。先日、静嘉堂文庫美術館に足を運びました。お目当ては、大掛かりな修復作業が終ったばかりという重要文化財「四条河原遊楽図屏風」です。


すると、二曲一双の屏風のど真ん中あたりに、被衣(かづき)をつけた女が川のほとりで、「あの絵」と似たような格好で赤ん坊を抱えている。こちらはどうやら、身分ある女性と子供のようです。女はもちろん子供も紅白の立派な着物です。(浮世絵では遊女の見立て?で。)
しかしこの二人、屏風の位置的にもど真ん中ですが、川のほとりに忽然と現れたような不自然な描かれ方です。まわりに付き人もいないみたい。
遊楽図というのは、戯れ遊ぶ人々をこれでもかと描き込む絵といってもいいほど、大勢の人がそこらじゅうに描かれています。日本画独特のマンガっぽい画面分割は、関連性のない絵柄も近接して並列できます。それにしても女の人の姿はひょっこり現れすぎです。
「四条河原遊楽図」は、ひらたくいうと(ひらたくしか理解してないんですが)「洛中洛外図」というジャンルから派生した作品です。それで、ウィキにもある「上杉本 洛中洛外図屏風」を見てみますと、いました、子供を抱えた中腰の女御。
河出書房のふくろうの本シリーズ「図説 上杉本洛中洛外図屏風を見る」の解説には、

路傍で高貴な子供に用足しをさせる被衣の女房

と書かれています。たしかに、見事なまでにストーリーを備えた絵です。傍には御簾つきの籠も待っています。
絵の年代の隔たりから、ふたつの図像に直接の関連は到底考えられません(上杉本は16世紀、四条河原図は18世紀)が、もしかすると「あの図像」が、世紀単位で描きつがれてきたパターンのひとつである可能性が出てきました。昔の日本で絵を学ぶといえば、たいていは、ひたすらお手本を写すことだったからです。
たとえば国宝の「観楓図屏風」。のっぺらぼうの衝立のひとつ、赤い小袖の踊る男が描かれています。この男のポーズやシチュエーションは、さらに古い作品にモチーフがあるといわれます。
おしっこさせる女の姿も、どこかの手本帖、見本帖のなかにこっそり描き継がれてきたのかもしれません。それをどこかで見た、中世の御用絵師も、近世の浮世絵師も、題材として描いたのかもしれません。
そして、現代の絵師である美術さんも、おそらくは寓意を込めて描いたにちがいありません。それが「モノノ怪」という場所であったとは、なんとも感慨で、またなんとも幸運で…。私なぞがどーこーいっても興ざめですが、なんとも嬉しい感じがします。この図が「あの絵」につかわれたと思うと、またなんとも深くて。はひ。