源慧のマコトとコトワリ
海坊主解、書き換えに向けてメモ
【マコトのアリサマ】
「お庸」を 「怖れ」→「愛した」と偽る
『お庸さんを怖れ、己の心を怖れ』
「お庸」への「怖れ」==罪悪感==お庸の“影”==「虚ろ舟」
↓ ↓
「己の心」を「怖れ」==自身を執拗に責める→隠す→「(姿が)なかなか出てこない
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│ 魚コード骨の金魚=虚栄心 <自分を縛る鎖> イカ=欺瞞心 │
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罪そのものと、罪を隠す自分を「ずっと恐れ続けていた」
「では、お庸はドコへ?」
ここでいうお庸とは
└>“影”ではない真実の姿=己自身の真実が、ドコへいったのか?=真実はドコにあるのか?という問い
↓
「怖れ」ているから、見つからない。
└>源慧が心を偽ったほんとうの理由=理
【コトワリのアリサマ】
クライマックスは、源慧が見ている幻影の世界
(実際には、源慧の過去語りの続き、と考えられる)
過去の場面を回想(真実と向き合う)
↓
お庸の“清い風”
↓
若い源慧を貫くが、通り過ぎてしまう
└若い彼はお庸の真心や尊さに気づかないまま生き延びる
↓
老いた源慧の悔いる姿「ずいぶんかかって…」
※源慧はお庸の“影”を恋愛対象と偽ったが、では実際には、具体的にどう感じたために、彼女を怖れたのか、は、物語では語られない。
ただし、
- 生き延びたが故に、抱え込んだ負担(罪悪感)==外見
- 地位を表す頭巾==虚栄心と欺瞞心の象徴
であり、
愛している と 偽った ─┬負担(罪悪感)→モノノ怪<海坊主>(海でさまよう)
└虚栄と欺瞞→源慧(陸に残る)
頭巾を脱ぐという行為は、真実への怖れを克服するという源慧の決意のあらわれ、
外見の変化は、怖れの克服が達せられたことを示す。
【50年の経年変化】旅の意味
虚栄心を(おそらくは徐々に)“脱ぎ捨て”お庸の心に近づく過程