お蝶の皮肉


お蝶さんは、過干渉な母親の決めた縁談で、佐々木家へと嫁ぎました。


彼女が敦盛*1や薬売りと遭遇するのは、そのあと。


モノノ怪とは、母親との歪んだ絆でありました。彼女の中に巣くうモノノ怪を、薬売りが斬り、お蝶はどうやら、母親の過干渉から解放されたようです。


しかし、なぜ、嫁いだあとだったのか。
相手に従属する、というイミでは、彼女自身の立場は、以前となんら変わらない(どころか増えている。負担が増したわけです)。


ところが、所詮は他人、嫁ぎ先の連中に対し、母親ほどに従属意識が生まれません。可愛がられなかったら、なおさらでしょう。
お蝶は、嫁ぎ先で従うギリを全然感じなかった。


「母親の願い」ただ一点に、義務感が生じるのみ。負担は増す一方。


ところが、母親との間には、かりそめながらも経済的・物理的に、距離が生じました。


また、縁談が成功したことで「母の願い」が一通り成就しました。願いを叶えて、安堵したら、母への強力な隷属意識が、わずかでも緩んだ、かもしれない。


負担が増える一方で、母の呪縛が「心のうち」で少し弱まり、もとから孕んでいた問題が浮かび上がった…。


つまり、お蝶は嫁いで初めて、母へ逆らう端緒をひらいたのではないか、と思ったのです。


母の願いの言うなりに動いて動いて、そのクライマックスにも等しい人生の一大イベントが、母への反抗を促すきっかけになったかもしれないとは、なんたる皮肉。


むろん、嫁ぎ先を追い出されれば、手酷い不名誉と経済的困窮が生じるのは、火を見るより顕かです。
その自覚は、お蝶の中にまだ、恐怖とともにありました。だから、寛容できるはずもなく、母親のイメージとして、敦盛との「結婚」を阻止したわけです。


☆ ☆ ☆


狐面がアヤカシであったのかなかったのか、お蝶の妄想だったのかそれとも実在(?)したのか、は、いろいろ問う人も多いようですが、それを言うなら、薬売りはどっから出てきたんでしょう?敦盛がお蝶自身なら、薬売りもまたそうだとは言えないでしょうか?…や、どっちでもいいでしょうけども;;まぁ、そうおっしゃらずに。そんな仔細を問うためだけに、焚かれた記事なのですから…


狐面の男は、「あの場所」へ戻るのを嫌がるお蝶さんに、別の場所として、なんと彼の懐を提示します。
いやはや、ストレートなプロポーズ。


そんな「結婚の申し出」は、どうやら、お蝶が望んだ言葉でもあったようです。とすれば、敦盛が彼女の妄想の中の存在であれ、他所から来たアヤカシであれ、同じ事を言ったでしょう。


また、彼が「男」として純粋にお蝶への愛情を口にしたのであろうと、モノノ怪として存在を守りたいがために人間とのさらなる癒着をはかったのであろうと、言葉は同じになったはずです。


なかなか、むつかしいところではありますね。現実であっても、意図をはかりかねるかもしれません。
でも、本当に大切なのは、いま一緒にいたいか、手放せないかどうか、ではありませんか。
きっかけや経緯がどうあろうと、自分はどうしたいのかを考えて、そして決めるものではありませんか。
それまでの自分がどうであろうと、また相手の動機がどうであろうと、申し出てくれた相手と一緒にいたいかどうか。*2


敦盛は、お蝶とほんとうに一緒になりたかったのです。お蝶のほんとうの幸せを願ったのではなかったのかもしれません…が、それでも、一緒にいたいという願いだけは、真実だったのです。


しかし、なぜ、「結婚」なのでしょう?
敦盛が男でお蝶が女だから、単純に…といってしまえばそれまでですが。


敦盛が「結婚」を持ち出したのは、薬売りが介入したせいのようです。しかし、お蝶の妄想のセンから言っても、アツモリというアヤカシがほんとにいたとするセンから言っても、たとえ薬売りが来ずともいずれあの申し出は、されたのではないでしょうか。
では、もし薬売りがいない時に、申し出があったなら。
お蝶はどうなっていたでしょう?


彼女は現実と妄想を完全に分離し、自分の世界に没入し、本当に魂のぬけた人形になって、誰かにいいなりの人生を送ったかもしれません。むしろ、指図したがりな連中がまわりに絶えないなら、中途半端に自意識があるよりも、ぬけがらになりきってしまうほうが、いっそ楽な生き方です。あるいは「本当に」大量の死人が、出たやもしれません…どちらにせよ、お蝶さんが完全に壊れてしまう。そんな結果を、たとえ望まなくとも、敦盛がもたらす可能性はありました。


もし敦盛が、モノノ怪として、あの<鵺>のように生きたいばっかりに、お蝶を誘導したあげく、結婚を提案したのなら。
前述のように、お蝶が妄想に完全没入して、現実をあきらめてしまえば、モノノ怪はループを続けられたでしょう。


しかし、だとすれば、 「母親」の妨害などは、無かったのではないでしょうか?
むしろ、お蝶と敦盛はいっそう同化して、薬売りの排除に走ったのではないか。


実際には、自己分裂ともいえる破局が、お蝶と敦盛を完全に分断しました。
モノノ怪が敦盛ならば、この展開はちと妙です。結婚したことにしてループが続くなら、それはそれで、都合がよいはずです。
おそらく、敦盛とお蝶の同化は、確実にループを崩すのです。だから邪魔されたのです。


二人を分断したのは「母親」。二人の結びつきは母親にとって許せないものだった、というか、敦盛が「母親」にとって不必要、余計な存在だったといえます。
(ひょっとして、母親は二人の結婚を祝福しにきたのでは?
 …しかし母親が般若のおもてを上げた後、ドリフなみの場面転換で、婚礼の宴席は無味乾燥な梅沢の家、お蝶の生家になってしまいます。これは肯定ではなく、否定の意思であると思われます。)


ラストのお蝶の台詞によると(のっぺらぼうは、なぜ、私を助けてくれたのでしょう…)、敦盛はアヤカシ「のっぺらぼう」ではあっても、≠モノノ怪、ともいえそうです。そういう解釈でもよいと思います。
(このばあい、物語のタイトルがモノノ怪の名前ではないということになってしまうが、かまわないと思う。私自身は、お蝶=あっつん=モノノ怪という解釈なので、この矛盾は生じませんが)


☆ ☆ ☆


さて敦盛がある意味妄想の産物であり、お蝶自身の人格の一部であるとすれば、
「結婚しよう。ふたりでひとつだ」という台詞は、
「自己矛盾をやめて、ありのままの自分を受け入れよう。自分に正直に生きて、己自身に誠実であろう」という意味に解釈できます。


ところが、台詞は敦盛(他者)の姿で、彼(他者)からの申し出として、完全によその男(他者)からもたらされたように描かれます。
そしてお蝶は、母親が許さないので、実現しない望みだと認識するのです。


「自分のしたいことをする」ことを、他者に禁止され、自分でもその禁止を(生い立ちと性格から)受け入れてしまったために、たまに「反抗したい。自分の好きに生きたい」という望みが生まれても、自分でそれを否定してしまうループ。
すべて他者の姿を借りてあらわされていますが、じっさいは、お蝶自身の心のなかで起きていることです。


物語では、薬売りがさかんに促して、モノノ怪を自覚させ、どうやらループから自由になったみたいですが、正直、薬売りが彼女を追い込んだみたいに見えますねぇ。


では、薬売りは、外からお蝶の心に侵入したのでしょうか?敦盛がお蝶の心のスキマに入り込んだように?
人間の心なんてスキだらけ、なのかも。ひとと接していると、分厚い扉も、よく感じるんですけどね。
モノノ怪が斬られたあと、現実のお蝶が幸せになったとはかぎらない…。
こうした後日談も含めて、あとの解釈は、お任せいたします。相変わらずの駄長文、ここまでお付き合いありがとうございました。


そうそう、「お蝶さんの心に踏み入るな!」という台詞は、「私の心に踏み入るな!」という意味にもとれます。これまたモノノ怪の執念と受けとれなくも無い(反論しようもない)けども、私は、お蝶自身の現実を拒否する叫びが、敦盛の口をとおして表れたものであろうと思います。
少なくとも、優しい弱さから出た言葉には違いありません。彼女は母親を守りたかったのです。そしてあすこまで、立派に成し遂げたのだと思います。

*1:狐面の男。あっつん。身につける仮面のひとつが、能で使う「敦盛」という型の面だったので、この名でも呼ばれるが、劇中では語られない。

*2:そりゃ一緒にいれば予想外のことは沢山あるでしょうが、後のことはあとで対処するしかないのですし、予想できないことは考えなくていいのです。