ヨタ2点

久しぶりに記事更新。ただのヨタ解釈です。


突然ですが『獣の奏者エリン』が面白いですねえ。リアルタイムとはいきませんが、気づいたら必ずエアチェックするようになってまった!


昨日の放映は本・再放送ともにショッキングな内容で、ジョウンを呼ぶラストは再見なれど涙腺崩壊。


オンエア自体ラストスパート、今後も目が離せません。


で、見終わった後に某所を辿って余韻を楽しんでいると、霧の民の罪意識について言及するレスがありました(もう出所はバレましたね)


「罪の意識が重い。これを呪いという」


罪意識ゆえの呪い…すぐに源慧を思い出せました(笑


さてここからが(やっと)本題。「あの海」のモノノ怪は、薬売りこそ「ちがう」と言ってくれましたけど、やはりお庸さんだったのかも、てな気がしているわけですが。


兄の悔いる心が、成仏するはずのお庸さんを繋ぎとめちゃったのかも…だから、あの海へ呼び戻したのかも…。


まあ、そこらへんは蛇足な邪推でして。ただ、源慧の意識が「己の罪」に向けられていたのは確かなようです。


しかし源慧は、罪は罪としておき、妹の成仏を信じません。お庸が呪いをもたらした、と感じるんですね。


つまり「海坊主」は、罪悪感をモノノ怪に見立てた物語なわけですが、


上でお借りしたレスをみてもわかるように、罪悪感==呪い、という「見立て」が、我々の「意識」ではいつのまにか行われている(ことがある)、


もっといえば、ときに、ちょっとした言葉の「すり替え」が起きるんですね、どうも、頭の中というか、心の中で。


ほら、罪意識は明らかに自分自身が出所ですが、


呪い、と言うと、なんとなく、ニュアンスというか、わずかですが、変わるじゃないですか。出所に対する心持ち、みたいなものが…。
(ワタクシがつい、お庸さんの存在を持ち出してしまうのも、実はさほど、源慧と変わらない思考だからで…)


でも、罪悪感と、呪いは、別モノですよね。


「海坊主」は、この「すり替え」を、じつに華やかに映像化して魅せた作品、といえると思います。皆さんは、どう感じましたか。モノノ怪だけに「むろん千差万別」だと思うのですが。



 ★ ★ ★



うーん。今更な余談ばかりですみませんが、さらに余談をメモ。


「海坊主」の、虚ろ舟を開けるシーン。


あのシーンは「鵺」で、室町はんが、実尊寺はんに、襖の奥へ引きずり込まれちゃう場面に、通じる気がします。


泥人形のような、巨神兵タイプ実尊寺はんは、たぶん亡霊のひとりでありますが、


襖から這い出るあのシーンではむしろ、室町の(都合よく)忘れてた記憶の一部から来る“幻”です。次の順番でイタイ目に遭う半井(なから・い)が見た“瑠璃姫”のようなもので、ほとんど自分(のやらかした罪)の化身と言ってもいいでしょう。


翻って、源慧の幻から生み出された“虚ろ舟”も、もし薬売りの護符がなければ、中からはやっぱり“なにか妖怪じみた”モノが出たんでしょうね。


なにせ、舟は源慧の心のうち(に秘めて忘れてた、かつてやらかした罪)を再現したモノで、怖れつつも想像せずにはおれなかったシロモノですから、


海座頭のいぢわるパワー全開で「なんとなく想像どおりな悪夢」を、きっとあの舟の中に用意していた事でしょう。残念でしたね、最後のビックリ箱が、薬売りさんに阻止されて…。


…あ、さては薬売り、「鵺」では自ら海座頭の役回りを演じたって事かもしれませんね。


『貴方の本当に恐ろしいものは…… コレ です ね?』


…しっくり来すぎf^_^;