最初の地下鉄をつくった会社

図書館で見つけた「日本の建築・土木ドローイングの世界」という本に、日本初の地下鉄(銀座線)工事図が2ページ掲載されていました。
上野−浅草間を1枚の画面に描いたイメージボード?と、具体的な作業工程の図案が6枚、「ポンチ絵」で描かれています。

 東京に地下鉄を敷く計画は、1906(明治39)年、実業家・福沢桃介によってはじめて発起された。桃介は福沢諭吉の娘婿。電気事業に尽力した人物で、その名を冠した橋、桃介橋まで建設されるという、土木とゆかりの深い人物である。しかしながらこの計画は日の目を見なかった。その後、さまざまな人たちによって地下鉄建設の申請がなされるが、関東大震災などの影響とも重なって、ようやく上野−浅草間の建設が着手されたのが1925(大正14)年のことである。
 震災の影響で工事の実施は危ぶまれたが、大倉土木(現・大成建設)が工事費の支払いを竣工後まで手形払いでよいとしたため、実施に踏み切られた。また工事に当たって、地下鉄上の土被り厚さを十分深くすることが東京市の条件であったが、同社は鉄道省と直接交渉することでこれを1.5mにする認可を受け、より早い工事完成を実現させた。(上掲本記事より)

地下鉄博物館HP にもある通り、日本初の地下鉄開通の立役者は早川徳次(はやかわのりつぐ)。技術はもとより資金繰りと周囲の説得に終始奔走したようです。建設に際して設立された会社「東京地下鉄道」の社長に就任したのは古市公威姫路藩出身の男爵で公平無私と謳われた名士。ウィキや(土木協機関紙「CE建設業界」2007年12月号フォトエッセイ)等に詳しい話がのっています。こういう人を立てたところに、なんか当時の背景の複雑さが見えるような気がします。


絵は几帳面な筆致で、要所を簡素に、丁寧に描いたごくふつうの建設予定図です。当然ぜんぶ手書きなので、ちょっと遊園地の案内図っぽくもあったりします。
しかし日本初の事業としてどれほどの夢と苦労が、このボードに詰まっていたのだろうと想像するとワクワクします。
おそらくこれを手に偉いさんや技師たちを廻った早川氏も、計り知れない情熱を込めて持ち歩いていたんだろう。


大成建設のHPで、当時の写真を少し見ることができます。
http://www.taisei.co.jp/index.html(「大成建設の歩み」で検索などして)
サイトでポンチ絵も見れたらよかったのですが。
「日本の建築〜」は企業PR誌TAISEI QUARTERLY(TQ)1997年発行の100号記念特別編集です。一般販売は無く、図書館で閲覧するか、古書店などで手に入るようです。


なお記事中の桃介橋は、長野県の南木曽町にあります。
南木曽町観光協会HP(「見たいマップ」等)


おまけ。杉浦非水が描いた東京地下鉄道関連のポスター、地下鉄博物館で1枚、下記でもう一枚見れます。

私立PDD図書館(PDD画像 切手・カード関連 地下鉄開業)
上記ページのメトロカードの下に並んでいます。左側は地下鉄博物館のポスターがトリミングされてます。