大正のことば表現

大正時代の身の上相談 (ちくま文庫)

大正時代の身の上相談 (ちくま文庫)

『奇想の系譜』を買おうと、本屋のちくま文庫コーナーを捜したが目当てがなく、あれこれ物色したあげくタイトルで買った本がこれ。(同文庫としては比較的、安価な類に入るのも衝動買いの理由だったり)

大正時代の新聞に実際に掲載された、投稿&アンサー記事を抜粋、ほぼそのまま収録しているらしい。連載や単行本の収録かなと思ったが、書きおろしみたい。2002年の発行。

前書きと目次に続く『大正デモクラシーと「身の上相談」相関図』が、ワタシ的には当時の民衆のココロを想像するのに役立ちました。

あっというまに読めます。身の上相談は大抵面白いんですが、表現の微妙なちがいとやらは、正直参りました。

「さかんに運動しているお転婆です」は、初めての夜に出血がなかったんだよ〜〜という訴えで、
「不倫の淵に身を沈めた」は、娼婦になったということ…なのだそうです。

…まぁ、笑って、ツッコんで、そのあとでウ〜ンと唸らされたわけで、いろんな意味で、じっくり楽しめそうな本です。


表現といえば、『大正化猫』で、表現の意味に戸惑ったのがこのセリフ。

「職業婦人の、花形ですネ」

薬売りがチヨちゃんをほめる。チヨは照れていっそうテンションあがります。

薬売りはチヨをからかったんでしょうか。たぶんそうだと思います。当時の価値観を考えると、カフェのウェイトレスを花形と呼ぶのは痛烈な皮肉であるとも取れます。


というのも、「職業婦人」は女性が手に職を持つという意味ですが、その「職業」とは具体的には、

医師、看護師、タイピスト、バスガイド、電話交換手、秘書、技師、そして記者etc.…広義で噺し家、歌手、画家などの芸能関係、また店持ちや土地持ちなどの企業家も含まれるか。たいていは、社会的にほぼ認知され、安定した地位と、相応の収入が伴う、いわば「地に足がついた」職のこと。

それまで男性のみだった職種へ新たに進出したり、戦争などで男性不足から採用を切り替えたものが定着したり、あるいは新設の職種で、最初から女性の採用が意図されたり…と、女性進出の背景にはさまざまな理由がありました。

しかしどれも(旧い)常識を逸脱するような異例の出世ができるわけではなく、たいていは下積みや準備期間を経て徐々にプロとなるとゆうのが、ふつうの「職業」であったわけです。

ところが、常識を覆す職種があった。それが「カフェー店員」です。

新規参入のこの職種は、まず何よりもその新しさゆえに人々の心をとらえました。当時最新の情報やモードが集中する場所でもあった。当世風の文化人が集まり、カフェーは憧れのスポットとなり、人がさらに集まるようになります。カフェー自体も爆発的に増えました。

他店との差別化をはかるために、カフェー自体が店員の容姿などをウリにしはじめます。目立つ子がいれば、芸能関係者が声をかけることもあったでしょう。

出会いは"伝説"となって流布します。従来の「職業」の下積み概念を覆す、一攫千金・明日のスター街道。で、アイドルやタレントになりたい若者が集まる。一種のハリウッド幻想が「カフェー店員」を彩っていくわけです。

芸能人は"水商売"、高名であろうと職業として認められない。そういう価値観が主流であった一方で、

沢山の人々が映画に夢中になり、カフェーを利用する楽しみを覚え、憧れが価値観を、どんどん変えてゆきます。

親たちのほとんど、そして若者の大多数にしろ、カフェーや映画は「不良の証」でした。ところが、芸能界入り志願の若者にとっては、カフェー店員はまちがいなく、夢へリアルにつながる「職業の花形」だったのです。


「職業婦人の花形」という表現の意味を考える上で、チヨの直前のセリフをみますと、

「女給してまーす!」

もし、チヨが実は、保守的な価値観の持ち主で、明るく振舞ってはみせても女給という職業を心の底から敬遠すべき…と考えていたなら、「花形」の微妙なニュアンスをききわけて、気分を害していたはずです。いくら薬売りにポッ…でも、大正時代の人間ですから。

でも彼女は照れながらも嬉しそうでした。カフェー店員を「花形」だと信じているから、「職業婦人」の花形、と言われて、素直に嬉しいのです。オダテだ〜〜とは思ったかもしれませんが、それでも素直に喜んでいます。

薬売りはからかう気持ちはあったかもしれませんが、たぶん、とくに意味を込めて言ったわけではないのです。ただ、もしかしたら、多少はチヨの反応を見たのかもしれません。

あとでわかるように、チヨは自分の「現在の境遇」にウンザリしていましたが、カフェーを辞めるつもりはなかったようです。カフェで働く理由は、経済的事情の可能性もありますし、たんに芸能界に憧れただけかもしれませんが、いずれにしてもチヨにとっては、カフェー店員は間違いなくひとつの「希望」でした。

「女給=職業婦人の花形」という言葉は、その方程式を信じない人にとっては痛烈な批判となりますが、信じた人にとっては、皮肉というよりも親しみの込もる、優しい言葉となるのです。

そんなわけで薬売りはチヨの境遇や願望(の傾向)を知るために微妙な表現をつかったのかもしれません。

…が、たぶん、人々が話しやすい流れをつくるためにノリで言っただけなのでしょう。(会話のスムーズな流れを演出するために組み込まれた、意味は無いセリフということです。)

ぽんと投げた言葉にチヨがぽんと返し、「チャチャを入れるな!!」とノリよく門脇が返し…こうして、会話のテンポがつくられていきます。

それにしても、女給という言葉を、肯定的なイメージで捉えるか、否定的なイメージをとるかで、セリフ全体の意味というか印象がずいぶん変わってくるものです。チヨの「希望」のほうも、化猫に遭遇した後では、形が少し変わったかもしれない。言葉には、個人的なものも含め、経験==歴史によるニュアンスがどんどん積み重なっていくんですねぇ。