あの部屋の絵

「あの」部屋です。ピンクベースの色あいが、一説に子宮ではないかといわれるあの部屋です。子宮の象徴は私も思います。生まれ得なかった「ややこ」にとって、あの座敷はお腹がわりなのでしょう…。


さて、「座敷童子」解を書き直しながら、気になっていた壁面の装飾の元ネタについて、わかったことを少し書きます。


まず、上半身ショット?の仏画狩野芳崖「悲母観音図」に拠を得たといってよいようです。(拙文シロートにてすみません)
実際の「悲母観音」は縦長の絵ですが、ひどく痛みが進んでいるので、滅多に公開されない作品です。過去に2度ものすごい技術で精巧な織物による模写がなされ、そちらは一般公開されています。


織物文化館HPの「収蔵品のご紹介」で、織物に関する詳細記事があります。


観音様が左手に持つのは、柳の葉っぱです。このスタイルを楊柳観音といい、三十三観音のひとつだそう。引用のページにもあるように、薬王観音とも言うとは、なにやら意味深かも。


修験系天台宗 龍光山三高寺正寶院 飛不動様のサイトより 楊柳観音のページ


「悲母観音」は右手に水瓶(すいびょう)を傾け、功徳の水が、下方の球体(胞衣 えな)に注がれています。胞衣の中にいるのは胎児です。まさに夢の受胎シーンなわけです。
「座敷童子」の壁画では、絵の下半分が描かれていないし、水瓶も持っていません。そのかわり右手は何かを迎えるように、下向きに差し出されています。優しく相手の手をとって迎えるような仕草です。
ちなみにこの、手を下にした形は与願印といい、観音様はよく左手でする形です。右手の与願印薬師寺聖観音や、左手に持物があり右手に無い観音さま、吉祥天など。
ま、デザイン的に瓶を消したため自然にポーズを加えたのでしょうが…暗示的ですねぇ。
そして綺麗。体半分きっちゃうのは反則なのでしょうが、モノノ怪公式HPで見れる襖絵はやはり美しい。飾り物は「悲母観音」のほうがずっと豪華なのに。色彩効果、強し。ちょっとブロマイド的?やっぱ反則かなぁ…


観音様と相対する壁の絵は、一対の遊女の絵です。
「身重な遊女」については、元ネタ探しは即、パス。あの絵のモデルは、それこそクリムトの「希望I」じゃないかと思う。。
Salvastyle.comのページより クリムト「希望I」


子どもを抱えた女性のほうは何かありそう。この図像、気づく人はすぐ気づくことができるんですが、私はのんびり、根気よく探しました。
ありました!喜多川歌麿「風俗美人時計 子(ね)の刻」。太田記念美術館などに所蔵されていて、けっこう本に載っています。だから浮世絵好きはたいていどっかで見かけてるわけです…^^;
子の刻は午前0時。若いお妾さんが、むずがる子どもを蚊帳(寝床)から出しています。そう、この絵は夜泣きをあやす図だったのです。
ところで壁画では、お母さんらしき女性がしゃがんで、子どもの足を持ち上げて、体を洗うんで桶にいれるとか、どっちかとゆーと「おしっこ」をさせるような格好をさせていますね。
ちなみに「子の刻」の図版が載っている「平凡社 浮世絵八華3 歌麿」の解説にも、

若い母親が蚊帳を出て赤ん坊に小便(しい)をやっている。

とあり、小用させる図である、としています。
とりあえず泣いたらオシッコとは、昔も今も変わらないみたい。しかしモノノ怪の壁画では、子どもを抱える女(とそれを見ている女)は、リラックスウェアの襦袢でも浴衣でもなく、おっそろしく着付けた「オンタイム」衣装です。
この点が、物語中における母子関係の不安定さを描き出しているように思えます。あの派手なキモノ姿でいったい子どもに何をしているんだろう、ひょっとして…と違和感が不信感を煽るかんじです。
けど元ネタが子をあやす母だ、とわかるとかなり安心です。しかもどうやら、この図像は昔から絵師に愛されたポーズであったようです。またのちほど…この絵に辿りつくまでと、辿りついたあとのちっぽけな話がつづきます。