その7
╋╋・‥… 7 …‥・╋╋
「こんな針仕事でも、ねぇ───ああ、笠原だったらどんなに良かったろう」
ある日、照の裾のほころびを繕いながら、母親がふと漏らした。
「笠原?」
丘では薪拾いしか知らない照は、首をかしげた。
「そうさ。お前があと五年早く生まれていたら、きっと笠原のお屋敷へご奉公にあがらせてたろうに」
「お屋敷?」
「あすこなら仕事もちゃんと教えてくれた。どうして、町なんかに───」
母親は声をつまらせた。
涙を見まいとして顔をそらし、照は、五年たった自分の姿を想像してみた。九つ…十。
いま十になる兄が手桶を二つ、水をいっぱいにして天秤棒にぶら下げ、かついで運んでいる。
「大きかったらよかったの?」
「ああ。そしたらもう、奉公して離れたって、やってけたのに」
「いまじゃ駄目なの?」
母親は悲しい眼で照を見た。照はそれ以上尋ねることが出来なかった。
(大きくなりたい)
「…そんなことも言いました」と母親は言った。
「もしも、お屋敷がまだあれば…あの殿様がたとなら、国替えだろうと…どんなに遠くへ行こうと、安心だろうに。
まさか乳飲み子を奉公さすわけにも。でも」
「どうせ行かせるなら、そちらのほうが」
「ええ、どんなにか」母親は涙をぬぐった。
╋╋・‥… 8 …‥・╋╋
ふところから手鏡を取り出しながら、薬売りは言った。
「あなたの思いがモノノ怪を呼び、あなたの願いがモノノ怪となった」
鏡の面を、照に向ける。
「しかし、モノノ怪は願いを叶えたんじゃない。御覧なさい、照さん」
鏡に映ったのは、薬売りの膝ほどの背たけの子ども。
照はわっ、と顔を伏した。
「わたし大きくなったんだもん!新しい着物もほら───」
顔を背けながらも、小袖の両端を引っ張り、目一杯広げてみせる。
「この、腕も、足も!このゆびも!胸だって!背だって!」
照は地団太を踏んだ。
風がごうごうと鳴る。
照の頭上で、傘が励ますように高く飛び、くるくると舞った。
「大きくなったんだもん!行きたいところは自分で決めれるもん!」
「どこへ?」
「笠原よ!」
「笠原には…モノノ怪のあなたが、行けるところは」
「いや!嘘つき!」
「もう、ないのです…」
「嘘!」
照の瞳がうつろになり、両腕がだらりと下がる。
体形が崩れ、首がおかしな形に曲がった。
そのまま、首だけが伸びてゆく。細く、長く。
(大きくなりたかった)
「その願いの為に、あなたはモノノ怪となってまで、行こうとした」
退魔の剣が、かちんと鳴った。
照の四肢は縮み、首だけが伸びて、幼い頭と胴を引き離した。
傘は風に乗り、少女のまわりを飛び跳ねる。
(大きくなって働けたら、そうしたら)
「あなたの行こうとしたのは、モノノ怪の領分」
再び、剣が鳴った。
鏡の中の少女は泣きじゃくっている。
「鏡の中」の照は、五つの姿で、両手で顔を覆っていた。
モノノ怪の首は、細くゆがんで伸びてゆく。青ざめた頬には己の手すら届かない。
「モノノ怪の名、得たり。見越し、お前を見越したぞ」
退魔の剣が、三たび鳴った。
薬売りは短剣を鞘から抜いた。
摩訶不思議な刀身から、煌然と放たれた雷光が、男の全身を黄金色に染め上げる。
(傘化け。照の心を、護り給え)
鏡が、ぐわりと膨らんだ。
鏡の中では照がしゃがんで泣いている。
小さな身体が大粒の雨に打たれ、髪も、薄い着物も濡れそぼり、動けないようだ。
風が轟いた。
竜巻が起きたのだ。
朱色の傘は、鏡めがけて突き進んだ。
つむじ風が、鬼火のように青く仄かな弧を描いた。
そして照のもとへと、飛び込んだ。