その2

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 男は晴れやかな空藍の上衣をまとっていて、暗がりの中でも灯のようにほの明るかった。
 高下駄に乗った姿は行者風でもあった。蓑笠ではなく、どこかの帳場からでも借りた風情の、粋な番傘をさしていた。傘は濡れてすっかり黒ずんでいた。
 傘の下の頭巾から、こぼれ髪がぞんざいに垂れ、風になびいていた。
 その下から、色白の顔が、闇にぼうっと浮かびあがった。


 すっ…と。
 嘘のように風が弱まった。


 父親は思わずぞくりとした。雨露がかかとのほうまで伝っていたが、それとは別の寒気だった。


 しかし娘の心配が打ち勝った。父親は唾を呑み込んで、声をかけた。
 「娘が飛びだしたのを見ただろう、どっち行った」


 相手の眼がわずかに細くなった。


 「…人は、誰も、通りませんぜ」


 修験者風の男は上半身をねじり、視線を後ろの辻に向けた。
 家の前の道は、緩い坂になっていて、昼ならば、下の辻まで見通せた。
 が、今の時分は泥のような闇が広がるばかり。


 「…こんな夜更けの嵐の日に、人なぞ、通りゃしない」


 「見たはずだ」父親はかみつくように言った。「右は笠原、左はうちの畑。先はうんと下って宿場に出る。旅の人、あんたの目当ては宿だろ。あの子はどっちへ行ったんだ」


 男は振りかえり、射るような眼をした。
 気が急いているのに、父親は動けなかった。
 男は言った。


 「本当に、見てないんで」


 男の言葉は、父親を打ちのめした。
 「じゃ…じゃあ、娘は…どこに?」


 「わかりません…か?」


 その口調には微かにからかうような響きがあった。父親は思わずむかっ腹を立てた。
 「こっちは子供を心配しているんだぞ!そもそも、なんで…」声が小さくなる。
 「…なんであんたはここにいるんだ?」


 男はぱちんと傘を閉じた。

 まだ雨は降っていて、青い上衣に雨粒が浸みた。太い連尺を付けた大きな行商箱を男が背負っていることに、父親は初めて気づいた。
 「物売りか?」
 男はうなずき、すかさず続けた。
 「ですが、日が暮れちまった上に、この雨風…とにかく、早いとこ、雨露をしのぎたくてね」
 父親は首を振った。
 「泊めろってか?みてのとおりの野良小屋だ、ましてや貧乏人の子沢山…」
 「構いませんぜ、それに」
 男の眼に奥深い光が瞬いた。
 「娘さんの行方探しは、俺が手伝えると思いますよ…ただし」
 父親はぎくりとした。「何だ?」


 「ただし、その前にニ三、お伺いしなきゃなりませんが…ね」


 「娘を見てないんだろ…お前さん、いったい何を…?」


 怪しげな行商の男はつと唇をゆがめた。笑ったようだった。
 「ただの、薬売り、ですよ」