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 次の日も、薬売りは村にいた。
 村人に薬をさばいて、話を聞いたり、二つの屋敷の前を、幾度か訪れたりした。
 たしかに今は、あまり村人は寄りつかない処であるらしい。とはいえ、どちらの家もきちんと跡目を継いだ者がおり、村の要職に就いて、ごく堅実な暮らしぶりだという。
 誰の口からも、凧の話が出ることはなかった。


 夕暮れ、薬売りは再び屋敷のまえにいた。
 天秤はずっと同じ場所にあった。
 それがふと、小刻みに震えた。
「あなた様には、あの凧が、見えるのですね」
 薬売りは後ろを振り返った。
 あの女が、昨日と同じ装いで立っていた。


「昨夜はたいへん失礼いたしました。急な用事ができたものですから」
 と女は言った。
「お詫びに、今夜はぜひわたくしの家にお泊りくださいませ」
「貴方の家というのは、こちらですか」と薬売りは、右手の屋敷のほうを向いた。
 女はうなずき、木戸を開けて庭へと入った。薬売りもそのあとに続いた。


「いま、湯を沸しますので、こちらでお待ち下さい」
 そう言うと、薬売りを縁側へと案内して、女は屋敷の裏へと回っていった。


 薬売りは荷を下ろし、縁側に並んでいた円座のひとつに腰を落とすと、空をふりあおいだ。
 相変わらず、凧は高くあがっている。


 女が戻り、薬売りは尋ねた。「あの凧は───」
 女は悲しそうに目を伏せた。
「ご覧のとおりです。どうすることもできないのです。あの凧は屋敷に住むものだけに見えます。隣家の方々は───わたくしの叔父の一家ですが───ついに屋敷を出てしまいました。村こそ出ていませんが、別の場所に家を建てて、今はそちらに」
 そして薬売りをひたと見据えた。
「他のひとに見えぬものが、あなた様にはご覧になれる。なにか、特別な力をお持ちなのでしょう。
どうか、お力をお貸しくださいませんか?」
「助け、とは」
「あの凧は、わたくしどもの屋敷にかかる呪いのようなものです」
「ほう」と薬売りは、不信とも興味ともつかぬ顔で、
「ようなもの、とは」
「叔父が亡くなってからのことです」女は話しはじめた。「叔父と父は犬猿の仲でした」


───父と叔父は、もとはとても仲の良い兄弟だったのです。
 父が長男、叔父は次男で、ふたりの父親、つまりわたくしの祖父は、家督を父に譲るとき、土地や遺産を等分にわけるようにと遺言しました。叔父はとくに商才のある人だったので、祖父は一族の発展を考え、兄弟の仲の良さを信頼して、二人の采配に任せたのです。
 父も賛成して従い、祖父が亡くなったあとも、何事につけふたりは話し合いながら、上手く世事を動かしていきました。


 父が人を指揮して田畑の管理をつとめ、叔父はそのもとで金子の管理をつとめていました。ところが、それぞれによその人とも付き合いがあるもの。
 あれやこれやと聞くうちに、どういうわけかお互いが、互いに黙って余分な利益を隠しているものだと、思い込んでしまいました。何か他人の都合もあったようですが…。


 豊作と凶作が交互にやってきたりと、時のめぐりの悪さも重なり、仲の良かった二人が、家族も驚くほど険悪になってしまいました。年を追うほどいさかいは深まり、生活のあらゆるところに及びました。


 わたくしどもがおります先祖伝来の土地も、取り合いが昂じてこのような、垣根だらけの酷いさま。仲良い時に隣り合って建てたのがわざわいして、気に入らぬ、目障りなどと繰り返し…ついに父が怒り任せに、このような(と背の高い竹垣を指して)ものを…。


 大人げないからやめてくれと家の者が懇願しても、二人ともまるで聞く耳持たぬありさまで。世間体が悪いとまでは申せなんだものの、代々、村役もつとめる家柄ゆえ、こうした内輪の火種もとうに知られわたり、村人の足もすっかり遠のいてしまいました。───